幸せな日々は失ってから気づく僕は馬鹿だたら、大切なものは失わないと気が付かない東京に片道五時間かけて、すごい交通費をかけて彼女はやってくる東京での食費も払おうとする彼女は毎日出かけて、毎日一万歩歩く僕は結構ヘトヘトで少し休みたい気分になるそして怒られる僕も少し不機嫌になるでも彼女が帰ると僕は恐ろしくおとなしくなるうつむきがちになって、電車の移動も一苦労だ食事だってちゃんと食べれない彼女がいるとできることが一人になると出来なくなる彼女が帰る度に思う早く戻ってきてくれと2019.05.06 17:40
人は人とコミュニケーションとりたいわけじゃない人は人に肯定されたいだけである人に肯定されることによって、自分が間違ってないと言われたいだけである人に否定されると腹がたつのは、相手に自分の意見を否定されたからである自分の意見と自分自身は別のものであるが、自分の意見を否定されると自分自身を否定されたように感じるからである自分の意見=自我となると、自我は自分の思考である自分=自我=自分の意識=自分の意見よって自分の意見を否定されるのは自分の存在そのものを否定されたように感じるからである人と人とは完璧な意思疎通は出来ないもし出来たらそれはテレパシーだし、同一人物であるしかし、我々は共感を求めるコミュニケーションの本質は共感である共感を求めるから人間は会話をするこのときAは相手に共感を求めているのであって、意見は求めてない共感=肯定=自分の意見の肯定=自分の存在の肯定自己肯定感をつけるためには他人からの共感と肯定が必要である他人から全く共感されず、肯定されないと自我は満足せず、自己肯定感を持ち合わせることが出来ず、欲求が解消されない我々は自分の欲求のためにコミュニケーションを求める、共感を求める、肯定を求めるよって、自分を肯定してくれる人間だけを求めるようになるそうすると周りは自分と同じ意見の人間に囲まれるそういう人間の集合体の中に入ることによって、欲求は承認、解消され、安心して、身を委ねるこれが類は友を呼ぶの状態であり、一種のコミューンとなってるこの状態を世界の外、つまり外部に求めるのが一般的であると認めており自我の内部に求めるのが引きこもりであるよって、引きこもりはそれ自体が一種のコミュニケーションであり、それ自体が思考であり、自我であり、彼ら独自の意見である2019.04.18 17:31
愛と愛欲古代ギリシアの哲学ではプラトンとアリストテレスが愛の定義について議論していた愛欲、性欲、肉欲は人間のものであり、エロースと呼ばれていた一方、普遍的な愛、精神的な愛、肉体を介在しない愛を、アガペーと定義していた現代でも愛についての考えは進化論的、医学的、発達心理学など多岐に渡って議論されているここに性欲のなくなる薬を飲んだ人間としての発見を付け加えされてもらう性欲は愛とは別のものである性欲と愛は地続きに繋がってるいるものだと個人的に解釈していたが、どうやら違うようださらに言うと、触れ合うことによってオキシトシンを出す行為と性欲は別の欲求らしい性欲がなくてもふれあいたいという感情は生まれ得るものなのだこう考えると男性器として機能しなくなった老人がスナックで女性と触れ合って、デレデレしたり、お金を貢ぐのも別に不思議ではない彼らは性欲からふれあいたいと思っているのではなく、単純にふれあいたいと思っているのであるそして、触れ合うことによってオキシトシンが出るのは猿のグルーミングと同じであり、我々は本質的にじゃれ合いたい生物なのかもしれない2019.04.01 08:37
難しい話をしますアメリカのAmazonでクラシック、つまり古典で検索した本で、上位に入ってくる小説に華氏451と1984って本があります。この2つはディストピアものというジャンルのSFで、簡単にいうと、ユートピアの逆って意味です。ユートピアは日本語で楽園と訳されます。ディストピアはその反対ってことです。この2つの本を読んでて、恐ろしく現代と通じるものがあると思って、衝撃を受けました。華氏451では本が禁止されてます。難しいことは考えるなって話。過去の本が無いので、過去の記憶がなくなります。そうすると現在の記憶しかないので、過去に対する反省も、それを活かした未来への行動もできなくなります。というより、そんな複雑なことが思考できなくなります。1984ではこれにプラスして、過去の改竄が当たり前に行われてます。もちろん本は禁止。あるのはテレビだけ。テレビも国に都合の良いものしか並べ立てません。数字もあとでいじるので良いんです。過去の出版物から何から何まで保存できないので、全部それを鵜呑みにするしかありません。二重思考というのがあり、矛盾したものを同時に納得して、受け入れるという技術を身に着けないといけません。「過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する」というのが出てきます。これは現在を支配すると過去を支配して、過去を支配すると未来を支配するという意味です。つまり、現在が重要であるという。まぁ屁理屈みたいな格言です。しかし、それを国民全員が信じてる世界です。あとはニュースピーク(Newspeak)というものが出てきます。これは日本語では少しむずかしいのですが、原作が英語なので英語で考えるとわかりやすいです。良いgood、悪いbadって言葉は2つある必要がなくて、goodだけ必要で、badはungoodで説明がつくって考え方です。この考え方をすると言葉は圧倒的に少なくできます。さらに、接尾語、接頭語を使う事によって、現存する言葉を強制的に名詞化、形容詞化、などにしていって、言葉自体を無くします。また、長い言葉は全て略語にされます。このニュースピークのすごいところは、言葉が貧相になることによって、複雑な思考ができなくなり、語法も簡単になり、都合の悪い言葉が無くなったり、市民に浸透しやすい土壌を作り上げることが出来るのです。「〇〇は悪い」って言葉がなくなるので、現在の政権も否定できなくなります。また、「共産主義インターナショナル」という言葉だといろいろな政治的な色合いが濃いので、反発する感情が芽生えますが、「コミンテルン」と略語にしてしまつと、ただの新しい名詞にしか感じられず、そこになにか政治的な色合いは薄れてしまいます。同じような言葉に「国民社会主義ドイツ労働者党」は「ナチ」になり、「アジテーションプロパガンダ」は「アジプロ」になり、「ゲハイメ・シュターツ・ポリツァイ・アムト(Geheime Staatspolizei Amt、「秘密州警察部」は「ゲシュタポ」になります。これらは、もともとの言葉が日本語ではないので、あまり正式名称でもピンと来ないかもしれませんが、日本語でも長々とした名称を略するともともとの意味がわからなくなることは思い当たると思います。さて、ここからが僕の思ったことです。僕は世界が、どんどん省略する世界になってるように感じます。別に言葉が変成するのは昔からなので、そんなに心配してないのですが、問題は言葉ではなく、我々の思考方法が省略傾向があると思ってます。読書はすでに出版業界を見ればわかるように、絶滅危惧に瀕してます。特に難しい本は減って、図書館も本屋も平積みされている本は、中身が省略されてたり、難しい理屈がすっ飛ばされて、結論しか書かれてないビジネス書ばっかりだったりします。確かに結論とその理由が書かれていればいいわけですが、僕が熱心に学術書を紐解いて考えた分野の話を数ページで解説されてると、あまりの情報の省略さ加減に唖然としてしまいす。同じように、現在僕はこんな内容のブログを長々と何時間もかけて書いてます。こんなのあっちこっちのブログだったり、ウィキペディアからコピペすれば、長い文章なんて、ものの数分で書けるのは知っています。しかし、僕はこの長い文章の中にかなり密度の濃い情報量を詰め込んでます。ところが、こういった文章を読むのが面倒になって、大体の人達はもっと楽しく、もっと気軽に読めるブログの文章を読みます。さらにはブログも読みたくない人はツイッターにたどりつきます。なるほど、簡潔さではツイッターにはブログは勝てません。一方でツイッターはそのあまりにも少ない情報量でミスリーディングも多くあります。それだけじゃなくて、ツイッターも読みたくない人はインスタグラムで写真だけ見ます。あるいはYou Tubeで動画を見ます。メールが廃れて、チャットになって、我々の普段の連絡はチャットでやりとりしています。圧倒的に文章にふれる時間が多くなったのに、我々はその文章の質が非常に落ちています。情報量の密度が薄まっていってます。チャットは書き言葉ではなく、話し言葉でやりとりしていることもあって、文章を読む力がどんどん無くなっていってます。こういった傾向を見ていくと、僕は世界がどんどん省略されて、ミスリーディングが多発して、極端な思考に向かい、刹那的、短絡的思考に結び付き、快楽主義、自己責任論に向かっていくのではないかと思います。後半は眠くなって書いてるので自分で何書いてるのかわからなくなってますが、要するにこの二冊は読んでくれって思いました。2018.12.19 13:53
最近忙しい最近顔つきが変わったってよく言われる理由はわからないけど、前より人生が上々な気がするでもこういう時に限って大きな失敗をする勝って兜の緒を締めよじゃないけど、気は抜けない最近は読書が出来ない肉体的にも精神的にも疲れてる時に本を読む余裕はない特に難しい本とか、勉強の一環として読むタイプの本はでも読まなきゃいけないと思ってる理由はわからない図書館の人にこの本とこの本とこの本と…これらの本は貸せませんって言われた他館での予約がいっぱいだからだそうだこの人は色んな図書館の本を借りる人としてもうマークされてるその証拠にあの図書館の係の人は、他の人に目もくれず、一直線で俺に向かってきた色んな図書館の色んな本を借りてる、しかもジャンルが凄く広い何者だと思われてるのか気になるこうやって毎日がただ、何も考えず、予定をひたすらこなしていく日々がおくれてるのはリズボンと出会って、リズボンが支えてくれてるからだと思う感謝の日々である一方でこんなに日常に埋没していくのはまるで昔、想像していた退屈な大人のようだそうか俺は今まで子供だったのか俺は一つ何かを失って、何かを得た気がするでもそれがなんなのかわからないし、それが良いことなのか、悪いことなのかもわからないただ、こんな感情もそのうち忘れるんだろうなっていう言いようのない侘しさを感じる柳家喬太郎の小話を明日の昼礼でやりたいでも百パーセントすべるのがわかってる明日は朗読をすることにしたでも百パーセントすべるのがわかってるすべるのがわかってる既定路線ですべりにいくのは結構辛いけど、楽だなーと思ったやっぱり朗読するのはやめた怖い話を披露しよう2018/10/31考えたこと 雑記2018.10.31 10:51
小説ネタ今考えてみればおかしい兆候は充分にあった自民族中心主義的な発言、弱者を無視した発言そういったものは、過激であったが、確かにどこか納得が出来る耳触りの良い謳い文句だった2000年に入ってからの日本は、リーマンショックを経験して、いくつかのバブルを経験したそれらは日本だけでは無く、世界全土に広がって、世界全土を経済的に八方塞がりにした不景気景気の停滞である市民は給料が上がらず、上る見込みもない状況で将来を憂いながら、普段の生活をするのが限界であった普段の生活は娯楽も少なく、寝て、起きて、食事をするので精一杯であったほとんどの時間は労働に搾取されて、慢性的に疲労困憊であった洗脳をするには、まず対象を徹底的に攻撃し、暴力し、食事を与えず、睡眠を奪い、自分の頭でものを考えることを出来なくさせるその上で、こちらの主張を徹底的に叩き込むそうするとそいつは判断力がないため、その考え方が頭の中にするすると入っていく昔、麻原彰晃がオウム真理教でやっていた手だ慢性的に疲労した状態は脳のシステム1を機能させないシステム1は理性的な自我であり、自意識であるこれが作動しないと、人間はシステム2、つまり今までの経験を元にしたり、反射的な考えで行動して、いわゆる思慮深い行動ができなくなる朝から晩まで働いて、食事も貧しく炭水化物が中心で、睡眠の時間も短くなっていく人という動物が壊れるのは自明だった多くの人はうつ病になり、その後の経済を更に悪化させたまた、炭水化物の増加は肥満、生活習慣病を増大させて、糖尿病、高血圧、脂質異常症を増加させて、医療費の圧迫を増加させて、経済は更に悪化した労働力は少子化に伴い減少し、労働人口はついに100万人単位で減るのが計算上明らかになった政府はこの計算が出来上がった時からこのデータを逆手にとった労働人口の減少による、求人の増加を、政府の政策のおかげで、求人数が増えたと報道するようになった老人が貧しく、若者も貧しく、誰も彼も貧しい国で結婚をして、子供を作りたいと思う者が一体どれほどいるだろうか?少子化は更に激化していき、高齢化社会に拍車がかかっていった政府はこの状態を打開するには医療費を上げて、消費税をあげることにしたこの消費税が決定的に経済の悪化を招いたのは過去の消費税導入や上昇後の経済状況を分析、及び、データの見れる人間には誰にでも理解できた状況だこれにより、日本の経済は決定的に悪化、さらに労働条件の悪化、賃金が低くなることによって、国民は集団マインドコントロールが出来る状態になっていたこのスパイラルに陥った時にインターネット、テレビで娯楽として受け入れられたのが、他民族への排他的な情報、自民族中心主義的な情報であるテレビ、インターネットはヒトラーが涎をたらすほどの効果的なプロパガンダのツールである政府の情報を一般人に精査する時間も体力も気力も技術もない政府主導による情報の拡散は大衆に大いに受け入れられたこれらは一服の清涼剤となって、我々に心地よい時間と思想を植え付けるのにもってこいであった日本の労働人口の激減に対して、政府は労働条件の向上ではなく、他民族、つまり移民を使って、労働力に当てたこの方法はその場しのぎの方法であるが、確かに労働人口は増えたしかし、労働条件が悪化している日本人には恨みつらみの種ともなった自分たちが働けないのにもかかわらず、外国人はのさばって働いてる多くの日本人はこれに反感を覚えて、右翼的な発言、思想がのさばるようになったそういう状況になると更に右翼的な政府は思う壺だったなにせ、状況が悪化すればするほど、自分達に有利な選挙結果になるからだ政府はこれにより、国民からの搾取を堂々と行い、更にエスカレートさせていったこれによって、日本にもいつしか、知らないうちに、戦前の日本とナチス・ドイツの台頭の頃と同じ土壌が出来ていたそのせいで俺は今戦場にいるなぜこんな世界になってしまったのだろうか?俺は普通に生活していた大学生だ専攻は哲学この間まで何も、そう何もかもが普通だったのにもかかわらずだ俺はいきなり赤紙が来て、知らないうちに名前まで失った何月何日何時、〇〇駅の何番ホームに来い指令はこれだけだった持ち物も特に明記されてなかった電車に満員に乗せられた俺たちは、気づいたら遠くまで運ばれていたそこに俺たちは並ばされて、全ての荷物を没収された一時的に預かるという名目でだもちろん、反抗した人間もいたが、必要なものは全て軍から支給されると言われて、抵抗したものはことごとく袋叩きにされた圧倒的な暴力の前に、普通の民間人が何か太刀打ちすることが出来なかった普通の人間は護身術とか言って何かを習うとか考えるが、相手を一方的に打ちのめす暴力の前には小手先の技術は全く役に立たないボクサーとヤクザが喧嘩になっても、喧嘩というフィールドではヤクザの圧勝である僕らは恐怖に支配されて、全ての持ち物を没収されたそして、名前も剥奪されたそれ以後の数年間、僕は番号で呼ばれることになった想像してほしい昨日まで学生だったのに、次の瞬間に身ぐるみ剥がされて、名前も奪われる苦痛を僕らはそのあと大きな建物に入れられた昔、小学校とかの時に健康診断を体育館とかでやったこっちに並んで身長を測って、こっちに並んで体重を測るそんな具合だその流れの中で僕らは肛門の中に指まで突っ込まれて、全身の隅から隅まで検査されたそして、髪の毛も皆坊主にされたバリカンで数分で皆五厘刈りだそして、建物を抜けると荷物を渡された使い古した服と靴これだけが支給品だった僕らはその後数ヶ月、みっちりしごかれた2018.10.31 10:35
ネタ昼礼で一言スピーチってのがある人前で話すから非常に緊張するところが、緊張してるのはみんな同じだみんなちゃんと話してる話してるけどつまらないだから、俺が話す時はちょっとくすぐりをいれようと思ってる毎回みんなが笑える話をしてるこれが結構好評で、毎回みんなに笑ってもらってるなんで、次回以降に話すネタをここに書いていこうかと思うただ、全部書くとだるいから、今回は一つ、次回も一つと追加していこうと思うそんなわけで、次回以降に話そうと思うネタを一つ怖い話 影の男女の人が家に帰る途中、電灯の近くに倒れてるのか寝ている男がいるそのまま知らないふりして帰るのも悪いと思ったので近づいて声をかけた大丈夫ですか?あ、お前影踏みやがったえ?お前俺の影踏んだな怖くなった女性は家に帰ったその後も仕事からの帰り道だから、そこを通らないといけないのだが、相変わらず男が倒れてる男はこっちの方向に向いて倒れてるこれが元ネタだけど、これだけだと気味が悪いだけで、怖くないだろうから、ちょっと盛ろうと思う。例えば、倒れてる場所がだんだん彼女の家の近くの電灯に近づいてくるみたいな感じだとりあえず。今日はここまで2018.09.28 14:54
哲学は悲観主義か?彼女も勘違いしてたが、哲学は悲観主義じゃない悲観主義という学派もある総じて哲学は一般的に悲観的であると考えられてるしかし、実際は違う哲学は現実を徹底的に分析するリアリズム=現実主義だ哲学は夢想やなんとなくっていうのを徹底的に排除する確実な事実を元に積み上げていく学問である2018.08.22 13:59
リスボンへ感謝感謝した気持ちはすぐに書かないと記憶なくすそうじゃなくても普段から記憶をなくす僕は、彼女に伝えなきゃいけないことがある君の存在がいつも僕を勇気づけてくれてるだから、君にはいつも感謝してるありがとうLINEでも送ったけど、ここにも残しておこうと思うなんてったってすぐ忘れるから(笑)2018.08.22 13:53
洗剤と石鹸実は僕は、洗剤とか石鹸とか、汚れを落とすものが好きなようだ洗剤や石鹸についての記事やブログをいっぱい読んできたそれで、いろいろこだわって、いろんなのを試してきた最近は百均で食器用の石鹸を買ってきた業務用の食器用洗剤があるのにもかかわらずそれで、さっきウキウキしながら食器を洗ってみた大体他のブログとか記事と同じ感想だこの石鹸だけで十分汚れを落とせる途中で液体洗剤を使ったが、違いが無かったというより、石鹸のほうが手に優しい気がするのと、すすぎが楽あっという間にキュッキュッとなるすすぎが楽なのは大きな利点の気がする手に優しい感じがするのも良い今後はこの石鹸を中心に使っていこうかと思ったが、液体洗剤があと何リットルもあるので、そっちを先に使おうかとも思ってる大体、風呂場の洗剤もトイレの洗剤も何でもかんでも業務用を買ってしまうなくなるのが不安なのであるこれはちょっと強迫神経症っぽいけど、トイレットペーパーとかもすぐ買っちゃう洗濯洗剤も買っちゃうおかげで、部屋が狭くなるが、無くなる怖さに比べたら、良いかと思うそう言えば、最近のファミレスとかの外食店では食器洗い機にどんな食器も突っ込む一回で綺麗にならなかったら、汚れてる食器をそのまま、また突っ込んで何度も洗う手洗いしてる時間と人件費のほうが高いからだそれを聞いた母が「えー、私今の仕事無くなったら、食器洗いのバイトでもしようと思ったのにー」と言ってきた母よ。食器洗いの仕事なんて、昭和の時代の仕事だよ。今は無いのだよ。最近は百均も質が良くて、いろんなものがある僕の持ってる物も大分百均で揃ってきてるこの間すのこを買ったが、百均にもすのこがあった百均のすのこだから、凄くうすいが、木工ボンドで3つくらい接着させちゃえば、この間買ったすのこの代用になるんじゃないか?と思った…まぁ買っちゃったから良いとしよう2018.08.09 08:27
第二言語習得(second-language acquisition)①子供の言語学習子供は言語の天才だと言われる。これには理由があって、大体6歳位まで人間の脳は凄く神経細胞が増える特に顕著なのが聴覚野と言われる部分幼少期に虐待されるとここが伸びないし、幼少期に楽器を習わせるとここが伸びるわかりやすい例を出すと、絶対音感だ絶対音感は六歳以上だと、どんなに楽器を習わしても習得出来ない脳の神経細胞が増えないからだそう言うと、それから先の楽器を習わせることや、言語学習が無駄のように聞こえるが、そうではない相対音感というのもあるし、耳でネイティブのように聞き分けられなくても、大体文脈で理解できる子供が、この時期に言葉の音を理解できるようになるのと同時に、子供は母国語に囲まれた環境に24時間置かれることになる仮に子供が毎日8時間母国語の勉強をしてるとして、5歳までに14600時間勉強していることになる一般的には17520時間と言われてるらしいどっちにしても、普通の我々の第二言語学習の時間と比べても圧倒的な量である日本の学校で英語の勉強してる時間は小中高大学まで合わせても、平均で1200時間もいかない一般的に英語を習得するのに想定される時間は最低で2200時間と言われてる天才になるには10000時間の練習が必要というのがマルコム・グラッドウェルの説であるつまり、そもそも圧倒的に勉強時間が足りてないのである②インプットの問題インプットが大事なのは言うまでもない自分の中で消化、吸収して獲得してないものは、個性でもなんでも、外に出すことなど不可能だ人間は情報の83%が視覚野で処理される。つまり文字だ次に11%が聴覚野で処理される。つまり音ださて、言語学の中には文字こそが言語という学派があるが、言語学の話をするとそのまま脱線して哲学の話まで飛んでしまうから、ここでは差し控えておく子供の頃の言語学習も同じだが、人間は最初音で言葉を覚える現に世界中で音があるけど、文字はない言語族がすごい数あるそう考えると文字は後からの情報であるしかし、大人になった我々は、音と文字を同時に理解することができるので、音だけの頃の学習よりはるかに学びやすい音と文字のconnectionがしっかりしてると、文字を見て発音できるし、音を聞いて、文字に書くこともできる。これは一石二鳥だし、別々に覚えるのは二度手間であるだからこそ、音読やシャドーイングが推奨されているのである③動機づけ動機づけは簡単で、動機がないと勉強する気が起きませんだから、動機はいっぱい書き出しましょうあと楽しみながら勉強しましょう(これが一番難しい)④レベル設定大体読めない単語ばかりの文章を読んでも理解できませんi+1が最適とされており、iが自分の英語能力ですこれより、少し難しい文章をいっぱい読みましょう明らかに読めなかったら、まだ時期ではありません⑤数字化勉強時間、勉強量、正答数など、なるべく数値化しましょうこれによって、自分の学習のメタ認知が出来ます⑥個性に合った勉強法をしましょうどんな勉強方法が合ってるかは自分で試してみるしかないただ、王道は音読である⑦マズローの欲求5段階説マズローって心理学者の話になります簡単に言うと人間は5段階の欲求に寄って成り立ってるって話です衣食住とかのレベルの欲求が満たされてないと、英語なんか出来ないよって話です英語の学習とは自己実現の欲求と言って、段階的には一番上ですつまり、勉強して、何かを得るのに、自分の生活が保証されてないと出来るはずねーじゃんって話です詳しくはググってくださいさてここまでは駆け足ではありましたが、ここまでの内容は下記の「英語学習のメカニズム: 第二言語習得研究にもとづく効果的な勉強法」廣森友人 を参考に書きました。現在他に4冊の脳科学とSLA(second language acquisition)についての本を読んでますが、読みきれてないのと、この本が一番わかりやすく簡潔に書かれてる印象を受けましたので、ご紹介させていただきました。SLAに関しては今後も何かわかったらブログで書こうと思っている次第です。2018.08.05 13:06
英語の勉強の限界ぱとりっく僕はここ数年TOEICにチャレンジしてる最高で740点とったことがあるもちろん、まぐれであるそのあとに665点まで下がったこれは辛いなんてったって、740点をとったあとも毎日問題集を何冊もやったのに点数が下がったからである500問の問題集を2つ、700問の問題集を2つ、計2400問解いたのにもかかわらず、点数が下がったのであるしかも、一回解いてお終いじゃなくて、5周ずつ解いたのにもかかわらず、点数が下がったこれは自分の英語学習の限界なのかもしれないと思ってしばらく放心してたその後も、大量に解くタイプの問題集が発売されているので、買って解こうかと思ったが、その前に買ったTOEFLの問題集を解こうと決めて、知らない単語を調べていったその後、途中で気づいた。これはレベルが違いすぎるTOEFLの英単語は知らない単語が多すぎたまた、辞書にものってないようなものもポンポン出てくるやばい。これでは将来海外の大学のコースを受けるってのが出来ない…またしても放心であるしかも、今度は持ち直そうっていう気力さえ出てこなかったどうしよう…つまらない…英語やりたくない…しかし、TOEFLで出てくる文章はTOEICと違って、面白い内容だったということは面白いと思う文章をとにかく読むっていう作業が必要なのでは無いか…?そう思った僕は、とりあえず科学的に英語の能力を上げる本を図書館から借りまくったいわゆる第二言語習得(second-language acquisition) に関する本ださて、この続きを書こうかと思ったけど、恐ろしく長い話になるから、今回はこの辺で。次回は第二言語習得(second-language acquisition) に関してもっと掘り下げようと思う2018.08.05 12:20